2007.04.30 ◆GW3日目
大阪で開催される「世界陸上」関係のイベント。反応はいまいち。
ハンマー投げの室伏とか、やっぱり現役のスター選手を呼ばないとこういうイベントはあまり盛り上がらない・・・。

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今日は好天に恵まれて、街中はどこも人だらけ・・・

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新世界もほんとに人が増えたなあ・・・。通天閣も行列。
ひと昔前はGWなんてガラ〜んとしていたのに。
今やすっかりハレの日のお出かけスポットになってる。

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道頓堀はGWも平日も昼も夜も関係おまへん。(ちなみにこれ↑夜の11時)
かに道楽はいつまで営業してんねんっ

高槻こいのぼりフェスタ1000へ。

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天気はこれ以上ないほどの好天に恵まれて、真っ青な空に鯉のぼりがよく似合ってました。
ちなみにこいのぼりフェスタ1000の「1000」はこいのぼりが1000匹だから。
天気がよかったこともあってめちゃ人の数。
過去最高の人出だったそうな。
事故がなくてよかったよかった。
イベント関係者にとってそれがなによりもホッとする。

今週末は高槻ジャズストリート
仕事をしてる姿を知人に見られたくないけれど、アクトプロムナードの円形ステージ(JR高槻駅前ショッピングモール)周辺をウロウロしてます。見かけたら声をかけてくださいな。星飛馬のおねえさんみたいに物陰に隠れてスルーしないように・・・もしかしたらカンカン帽をかぶってクラリネットを吹いてる(ダミー)かもしれません・・・^^;
上町台地「歴史の散歩道」ツアーのガイドを頼まれていたので、谷九で参加者たちと合流して上町台地を散策。

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表通りの谷町筋、上町筋は電柱も電線もなくスッキリしているのに、一本裏通りへ入ると、
景観はグチャグチャ。

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お寺、ラブホテル、お寺、ラブホテル、お寺・・・

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外壁が練兵みたいなホテルもあった。

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生國魂神社の石塀の向こうにラブホテル・・・

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散策ツアーの参加者たちの関心事は、上町台地の歴史や織田作之助の生地でもなく、
「ラブホテル」でした。。。(≧∀≦)ノ)) っていうかここへ初めて来た人はもうそれしか頭にないでしょう・・・実は生玉町のお寺とラブホテルは密接な関係があるのだけれど、そのカラクリをばらすとコワイので、ま、要するに「坊主丸儲け」ってやつかな。(・ω・)
■大阪ブルーノート8月に「ビルボード」に変身(asahi.com)のニュースにまたひとつ関西のジャズの灯が消えそうで悲しい・・・ジャズだけでも経営は安定していたのに><ビルボードならジャズだけじゃなく、ロック、ポップスなど多様で国内外のメジャーなアーティストを招へいできる・・・とのことらしいが、方向性が定まらなくて閉鎖した近鉄劇場の二の舞にならなきゃいいが・・・
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区役所に行ったら玄関前に花がいっぱい。
11;30、天王寺駅の喫茶店で遅い朝食(っていうかもう昼やん)トマトスパゲティー。

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14:30、遅い昼食。難波の「五右衛門」できのことハンバーグのトマト煮スパゲティー。
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どうもワタクシめ、似たようなものを続けて食べる癖があるようです。
朝昼晩3食カレーとか・・・やっかいなのは、そんなことはあまり意識していない点。
さあ寝ようかってときに、ん?そういえば今日は朝からカレーしか食ってねえなぁ(*´m`*)・・・
と、後で思い出す始末・・・。


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晩ご飯は本町のハードロックカフェ。・・・「豊か」さはあまり感じられませんなあ・・・
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大阪ハードロックカフェのポスターのデザインがいかにも大阪(≧∀≦)ノ)) ウキャッキャ
花の画像を載せるとブログが華やかになって、食べ物は賑やかになります。
幼なじみのきょうべーさんより。
素敵な花の写真を送っていただきました。どうもありがとう。
土いじりが好きなんだそうで(ガーデニングっていうんですかね)
きょうべーさんの自宅の庭にはこんな花がいっぱい咲いているのかな・・・
チューリップの黄色が眩しい〜
その周りの「わすれな草」は勝手に種が落ちて、咲きほこってるんだとか。

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そしてこれはこれまた青が眩しい朝顔。
レミオロメンのファーストアルバムのCDジャケットみたいです。

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きょうべーさんの幸せそうな家族の姿を象徴しているかのようなディスプレイ。
最近、草花を見ると、妙に感動するようになった・・・
花の写真を載せるとブログがパ〜っと華やかになりますねえ^^
枚方へ仕事の打ち合わせ。
場の雰囲気は部屋に入った瞬間から最悪だった。
原因はどうやら相手方の部長の存在感だろうと、察した。
50歳くらいの人でぼくは初対面だったけれど、3人同席していたその部下たちとは何度か仕事をしたことがあったけれど、彼らはあきらかに部長の前で萎縮していた。よその会社内部の人間関係は知らないけれど、そんなピリピリした空気がこっちにも突き刺さってわけもなく緊張を強いられてそれだけですごく疲れた。それだけじゃなく、何を言っても受け取ってくれない。

例えば、パンフレットの文言(いかにも広告マンが好きそうな「同姓に人気」「双方向」「手作り感」「情報発信基地」「活性化」「大人の○○」「○○風」「逆に言うと」「ふれあい」「○○っぽくない○○」「環境にやさしい」そしてカタカナ語「スローライフ」「コラボレーション」「ジョイント」「インテリジェンス」「バリアフリー」「アウトソーシング」・・・っていう言葉が氾濫)について、人の気を惹くフレーズではあるけれど、陳腐で形骸化して、それらが連発されると逆効果ですし、薄っぺらに聞こえます。相手に響かないと思います・・・・と言っても、いや、これでいい。とにべもしゃしゃりもない。

気分は最悪なまま、国道1号線沿いの何となく目に付いたファミリーレストランに入って夕食。店内は広くて、メニューも豊富。和食あり〜の、洋食あり〜の、中華あり〜の、寿司あり〜の、うどんあり〜の、ラーメンあり〜の、デザートあり〜の・・・♪どんだけ〜(←業界でいま妙に流行ってる言葉。使いところがいまいちわからんが)彦麻呂風に言うと、♪食のドンキホーテや〜って感じか。

ファミリーレストランというより、ひと昔前の「村さ来」「つぼ八」のような体育会系居酒屋みたいな雰囲気。時間が深くなるに連れて家族連れが続々入ってくる。活気がありすぎて落ちついてメシが食えるような状態じゃない┓(´_`)┏でも、どれも安い。地元じゃ有名な店なんだろうな、きっと。

お一人さま用のカウンター席の端っこで注文した焼き魚定食(880円)を待っていると、このお店で働いている女の店員さんに感動した。混んでごったがえしていて、そのうえ高級店ではないこのお店は、単品料理を次々と注文する客が多数。鮮魚市場のセリかっ

店員さんは右に左に全員が競歩の選手に見えるような早歩きまたは小走り。すっごい勢いで全ての客をさばいていた。その中でも接客中心に動いてた店員さん。名札を見ると、「中澤」と書いてあった。

この中澤さんはすごかった。
なにがすごいって、笑顔と言葉使い。
その両方とも営業用の作りモノとは違う。
(もしそれが作りモノで、もしこの中澤さんが恋人商法の「彼女」だったらぼくは80万円の指輪を買わされているであろう)

あんなに忙しそうに走り回っているのにいつでも笑顔。
この人は素の顔が「笑顔」かもしれん、と思うほど。
その笑顔はお客さんだけに向けられるわけじゃなくて、おなじように働く他の店員さんや厨房内の料理人たちに対しても。で、いちばんすごいなぁーーーーーと思ったのは、激混みの店内では、多少の苦情を言うお客さんもいます。

「注文したの通ってる〜」
「なんでこの割引券が使えへんねん〜」
「餃子四人前頼んだのにまだ来へんが〜」
「ビールはジョッキやのうて、瓶や言うやん〜」
「ここのテーブルの皿早よ下げてえな〜さっきからずっと待ってるのに〜」

などなど…

そんなお客さんに対して

「申し訳ございませんm(_ _)mごめんなさい。注文はちゃんと聞いております(o^o^o)」
「m(_ _)mごめんなさい。その割引券は期限が切れております(o^o^o)」
「はいm(_ _)mごめんなさい。ただいますぐ持って参ります(o^o^o)」
「m(_ _)mごめんなさい(o^o^o)」
「m(_ _)mごめんなさい(o^o^o)」

と本当に本当に申し訳なさそうな顔をしながら笑顔で謝っている中澤さん。昔、竹中直人がモノマネ番組で披露した「笑いながら怒る」って芸を彷彿させるほどの「名人芸」だ。

と、感心してる場合じゃなくて、ぼくの焼き魚定食がまだ来んが・・・
店のところどころの柱に21型くらいの液晶薄型テレビが掛けてあって、ニュースをぼんやり眺める・・・選挙のニュースが大半の時間を割っていた。

長崎市長選。
殺された前市長の娘の夫が急遽出馬したものの、落選。
喪服を着たまま(気持ちはわかるけどさ)選挙活動をしている様子が流れる。伊藤市長の意思を受け継いで出馬したという娘婿よりもその妻(娘)の方が前のめりになっててなんかイっちゃってるって感じがする。選挙カーで「♪千の風になって」を垂れ流したり、遺影を前面に出したりしてあれは有権者はドン引きでしょう。落選のときの娘の「父、伊藤一長はその程度の存在でしたか。伊藤一長は浮かばれないと思います。父がこのような仕打ちを受けるとは、本当に思いませんでした」と、長崎市民はバカだといわんばかりの怒りのコメントに唖然。なんで、前市長の無念を家族が選挙で晴らさなあかんの? 市民の立場は?亡くなった市長の名前を書いて投票した無効票がかなり数があったらしい。今回のような選挙中にアクシデントがあった場合の選挙制度のやり方を考える必要があるかも。

夕張市長選。
羽柴さん落選。いちばんホッとしたのは本人だったかも^^
やくみつるの漫画(セリフ)より
「新たな”当確”が出ました。注目の北海道夕張市は無所属新人の・・・」

候補者の選挙事務所にて

「こちら夕張市の選挙事務所です。当確の一報に安堵感が隠せません」

候補者、冷や汗を吹きながらインタビューを受ける

「思わぬ接戦に一時はどうなるかと思われたのではないでしょうか?」
「永遠の泡沫候補、羽柴秀吉さん、あわや当選しそうなとこでした」

羽柴「いや〜シャレ利かねえんだもん、夕張のひとがサ〜」


高知・東洋町の町長選。
いわゆる「核のゴミ」の処分場の反対派が勝つ。
もしかして、東洋町がダメならうちに持ってこいって上関町が手を挙げやしないだろうか・・・

サミットの開催地が決定。
後出しジャンケンの北海道の洞爺湖に決まった。
大阪は落選。誘致イベントに携わったことがあるだけに、個人的にはちょっと残念な結果。「警備上の理由」が大きな決め手になったらしいが、それ以上にいろんな意味で大阪はややこしいと思ったのかな。

松坂勝利投手。
勝ったといっても6失点じゃあねえ┓(´_`)┏
次ぎの登板でピシッとした結果を出さないと、バッシングが始まるかも。

スポーツニュースが終わって天気予報に切り替わっても、まだ注文したメニューが来ない・・・と思ったところへ、ぼくの後ろを中澤さん通ろうとしたので通せんぼして、あ、あの〜、焼き魚定食・・・まだ、ですか、ねぇ・・・

「申し訳ございませんm(_ _)mごめんなさい。すぐ持って参ります(o^o^o)」

打ち合わせで相手の態度にふてくされてクヨクヨして適当この店に入ったけれど、ワタクシのそんな気なんて吹き飛んでしまった。

あんた、すげぇーーーーよ。
あんたがもし長崎市長の娘だったら当選してたよ、きっと。
ありがとう、中澤さん。
2007.04.22 ◆シネコン
できたてホヤホヤの映画館「なんばパークスシネマ」にて東京タワー鑑賞。
どうせ観るなら新しい映画館でってことで。TOHOなんばシネマズに続き、パークスシネマという、ごっついでかい映画館が屋上の公園の中に誕生…映画に関しては難波はもう無敵かも

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東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン

もう、かれこれ2年近く続いてるだろうか「東京タワー」ブーム。(ん?ブーム、なのか?)原作は200万部を突破して、スペシャル、連続ドラマ、映画・・・とくればやっぱりこれはブームといえるでしょう。

ぼくが最初に「東京タワー」と出会ったのは、ちょうど今から東京へ行くってときに、新大阪のブックストアによって、真っ白い装丁に明朝体で書かれた赤いシンプルな縦文字「東京タワー」に惹かれて、思わず手にとって最初の20ページほどを立ち読みすると止まらなくなってそのままレジへ持ってった。行きの新幹線の中で3分の1、ホテルで3分の1読んで、残りの3分の1を帰りの新幹線。名古屋を過ぎた辺りでオカンが倒れて入院して「闘病記」になって、京都でオカンが死んで、新大阪に着いたときには涙腺が壊れてた・・・

まずその原作を読み、大泉&田中裕子版のスペシャルドラマを見て、もこみち&賠償美津子版の連ドラを見て、そして今回、オダギリ&樹木希林版の映画を見てまいりました。東京タワーの全バージョン網羅かよ!?(ひょっとしたら、「朗読劇・東京タワー」ミュージカル・東京タワー」「アニメ・東京タワー」・・・などなど出てくるかもしれない。でももうワタクシそこまで付き合いませんぞよ)

そのストーリーは体の細胞にまで行き渡ってしまってるので、映画はいまさら真っ白な状態では観られない。作品の良し悪しとかの判断がどうにもつきにくい・・・。多分、ぼくと同じように多くの人もそんな感じで観に来てたと思う。なので、オカンの死の前後の説明が過剰だったのが逆に白けてしまった感がややあったかな。「最愛の恋人が死ぬストーリー」って今までいっぱいあったし出来は千差万別。すべて誰もが見ても感情移入できる作品かっていうとそうでもなく。でも「オカン」は違う。「オカン」だけは聖域。ある意味、反則だろう。反則といえば「オカンの若い頃」が樹木希林の実の娘の内田也哉子って、そりゃズルイよ。

個人的にはオダギリ&樹木希林の映画版がいちばん原作に近いと思った。松たか子演じる彼女の比重もごくごく軽めで全然邪魔じゃないし、「時々、オトン」の小林薫もイメージ通り。この映画のポスターにもなってる、大人になったボクがちょっと年老いたオカンの手を引いて横断歩道を渡るシーンはとても印象的でした。ラストで流れる福山雅治の主題歌「東京にもあったんだ」って曲も作品と絶妙にマッチしていた。

最後のエンドロールが流れて、おや?と思ったのは、制作の幹事会社が日本テレビになっていて、てっきりフジテレビだと思ってた・・・ん?ってことは、来年の日本アカデミー賞の各賞総なめ?主演男優賞はオダギリジョーで決まり?・・・

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ロビーと座席。
前後左右ともゆったりしてますが、シートはやや硬め。


その「なんばパークスシネマ」がオープンした日に、道頓堀の名物的な存在だった2つの映画館、角座と東映が閉館。これで道頓堀から全ての映画館がなくなった。これも時代の流れでしょう。角座は、現在地下にある寄席『B1角座』が移転して、150席程度から倍の300席ほどの寄席としてリニューアル。一方の東映は、建物が老朽化ということもあって、取り壊すことに。この道頓堀東映は、ヤクザの街・大阪ってわけでもないのだろうが、ヤクザ映画をよく上映していて、本物の方が多く観に来てた映画館なのです。

土曜日の夕方の回に行くと、素肌に黒いシャツ、首もとにネックレスをつけて、刺青が透けて見えるようなシャツを着た本物の方が、ホステスさんっぽい女性を連れて、周りに10組ぐらいいる。黙って観てりゃいいのに、上映中のスクリーンに向かって、『その程度でびびるな!』とか、ツッコミを入れたりなんかして。『お前が出てくるからややこしくなるねん!』と突っ込んだり、よく拍手が起こたりしてました。最後の上映も『仁義なき戦い・広島死闘編』。北大路欣也の舞台あいさつがあたらしい。別れを惜しんだ本物の方は駆けつけたのでしょうか?

関西でシネコンが出来ると言えば 以前は郊外だったけれど、再開発で作られた商業施設に客を呼び込む「売り」のひとつとしてシネコンを組み込み始め街の中心地でも かなりのシアター数になった。そうなるとシネコン自体にも独自の売りの差別化が必要になるかと思うが・・・でもその「売り」の対象が女性なのが気に食わん・・・
2007.04.21 ◆近所
近所を散策。
ワタクシの住んでる四天王寺界隈は、他の町と比べても、家の周りを植木や花で飾ってるとこが目立つように思う。何かそのような運動でもしてるのでしょうか?

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これはやりすぎじゃネっ?


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通りも緑がいっぱいです。

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さらには、いかにも住宅番組に出てきそうなこじゃれた建物も目立ちます。

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せっかくコンクリート打ちっぱなしのいい感じの家なのに、この門はどうよ?

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ワタクシの住んでるマンションの玄関もこんな感じです。
2007.04.20 ◆脱力感
ブログをやってる人は一度はこんな経験があることでしょう。
本文の投稿枠に記事を書いて、不意に指がどっかのキーに当たってパーになったり、
ついうっかり「戻る」をクリックしてせっかく書いた記事を消滅させたり、「保存」または「投稿」をクリックしたのに、目的のぺージに飛ばずにフリーズして、記事が行方不明になったり・・・
短い文なら軽く舌打ち程度ですむけれど、何時間もかけて書いた長文が一瞬で消えたらもう頭をかき乱してしまう。その脱力感たるや半端じゃないっスよ。
実は今日の日記もうっかり消してしまった・・・σ(^◇^;)
同じ文は2度と書けない・・・し、もう書く気もしない・・・
まあ、大した文でもないけれども(*´m`*)

2007.04.19 ◆やってる?
大阪難波の「なんばパークス」が1期工事から続いて約6年かかってやっと完成ってことで全面開業しました。ヤマダ電機の『LABI1なんば』までつながったらしいんです。(そっちまであまり用事はないと思うけども)設計はキャナルシティ博多や六本木ヒルズを手がけたジョン・ジャーディ。

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年間の集客数は2100万人、売り上げ269億円を見込む、らしい。
2100万人の集客数がどこぐらいすごいかというと、USJの初年度の入場者数が900万人程度だったことからもそのすごさが分かる。2100万人というのはTDL並みの規模かな?商業施設の入場者数とテーマパークのそれとでは、計算方法も違うだろし、一概に規模の比較検討は難しいが・・・ん・・・1期がオープンしたときは最初だけ賑わって普段はガラガラでしたけど・・全館オープンしてもやっぱり最初だけって気がします。

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大道芸人たちがいたるところで芸を披露していた。
オープニングセレモニーのゲストにはジミー大西画伯。
中学生のワルじゃあるまいし、音響のまことくんが「ジミーちゃん、やってる?」って声を掛けたら、
「やってるやってる」と期待していた通りのリアクション。恐れ入りました。
2007.04.18 ◆小心者
明日(4/19)の「なんばパークス」の全面オープン前夜の打ち上げパーティー。

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テレビで見たことのあるような人もチラホラ。
どこかのエライ人たちなんだろけど、誰が誰だが知らんが、いろんな人がいた。
その中に、あの宮本常一のお弟子さんである姫田忠義監督がいたのに目が点。
(姫田監督は祝島へも度々足を運んでる)「民家」
2007年度の日本建築学会の文化賞を受賞されたばかりで、・・・・
「おめでとうございます」、そして祝島の話題でもふってみようかとお声を掛けようかと思ったけれど、
とてもそんな勇気はなかった・・・・>< チェこの小心者めっ自分を恨む・・・
2007.04.17 ◆散髪
梅田から歩いて帰宅中、15分980円という散髪屋の看板が目に飛び込んできてフラフラッと入った。席は2つ。2人カット中で、3人の客が週刊誌なんぞ捲りながら待ってった。ぼくも少年ジャンプを手にとってパラパラとめくり、こういう時に読み切りができる『こち亀』があるのは助かります。こち亀を読んで週刊ポストに交換しようとしたら、「どうぞー」って言われて(早っ)床屋椅子に座ったら「どうします?」と聞かれたので、(自由自在にどうにでもできるほどの髪の毛があれば、ああだこうだといろいろ注文ができるのだが・・・)ん・・・「耳が出る感じで、ええ、がっつりと刈り上げないで、ちょこっと刈り上げる程度でお願いします」と言ってもあまり伝わった試しがない。

案の定、襟首から上に向かってガツガツと刈り上げる・・・でもまあ人それぞれやり方ってもんがあるだろうから口出しするのもはばかられるし、最終的にはきちんとした形になるだろうと思って、一応の信頼を寄せていたら、二枚合わせの鏡持ってきて無言でパカッと開いて後頭部なんか映し始める。

ああはい…ともう、なんか言いたいこともあるんだけどなかなか言えない。
ムエタイのキックボクサーみたいな感じになっちゃってる。
刈り上げた天辺がこめかみ辺りで合流して、その境目がギザギザに・・・
画素数の低いデジカメで撮った画像みたい・・・
植田まさしの「かりあげ君」状態だ・・・><

ギザギザ部分をちゃんと滑らかに切って整えてくれるのかなあと思いながら流れに身を任せていたら、体にまとわされていたビニールとか首のまわりのタオルとか全部取られちゃったので、ええ〜これで仕上がりかいっと、心の中でツッコミを入れたけど、このギザギザ…明らかにおかしいだろ…などと思いつつ今更言ってももうなんかねえ…という感じになったんで、さっさとお金を払って家に帰って、ハサミ片手に修正修正しながら、ああもうホント散髪屋に行くとなぜかされるがままの押しの弱さに情けなくなる。
2007.04.16 ◆ひとり日和
今日は一歩も外に出ず、掃除洗濯。
あとはゴロゴロ、時々、読書。

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『ひとり日和』(青山七恵)
芥川賞受賞作品。。。

東京に暮らしたいがため、母親の遠縁である見ず知らずの
遠縁のおばあさん(吟子)の元に身を寄せる二十歳の知寿。
ひとりで暮らす都内の駅のホームの近くの小さな古い吟子の
家に同居しはじめる。
大学進学を勧められるがその気はない。
せっかく東京へ来たのに、何かを成し遂げようっていう意欲もない。
進学はせず、フリーター。コンパニオンのバイトとキオスクの販売。
彼氏との別れと、出会い。そして別れ・・・。
バイトはみんな辞めてしまう。
しばらくして、ジムのバイトを始める。
そこで、正社員になり自立へ・・・。


簡単に言ってしまえば、そういうお話。

賞を意識したようなギラギラした野心も感じられず、ざらざらと後味に残ることもなく、若い女性の生活感が、衒いも無理もなく淡々と描かれてて、都市の片隅でひっそりと過ぎる「ひとり」の時間の空漠と孤独を、同時に温かい生の肌ざわりを、賢しらに自己主張することなく静かに伝えてる。感性は繊細で文章も個性的で、構成も巧みで、作家の自意識に溺れてもいない・・・これを物足りないと感じるか、芥川賞作家としの力量として捉えるのかは、人それぞれだろうか。

個人的には、ん・・・あまり好きじゃなかった。。。
主人公・知寿の優柔不断で無気力にイライラさせられたし、
「本書から受け取れるのは、あらゆるネガティブな要素に抗して、生きることを肯定する清々しさだ。そこには紛れもなく若さがある」ってどこかの新聞の書評欄に載っていたけれど、その若さがどうにもかったるくてひとり日和とはいかなかったのが、本音です。
「住宅番組」というジャンルがあって、ぼくは大好きなんだけれど、「他人の家を見たい」という、覗き見趣味、いやいや素朴な好奇心に応えて、今や長寿番組の域に達した感のあるテレ朝『渡辺篤史の建もの探訪』(「デッドスペース」って言葉がここから習った)や『大改造!劇的ビフォーアフター』やテレ東『完成!ドリームハウス』などがあるけれど、いずれも素人さんの「お宅」(を建てたり改造したり訪問したり)だけれど、ならば同じことを有名人の家でやったらどうかと、日本テレビは考えたらしい。『今田ハウジング』。有名人はどんな家に住んでいるのかという覗き見趣味倍増。だけれど、その有名人がどうにもショボイ。そのままテレビ東京の旅番組に出ていそうな人ばかり。

それでも有名人は有名人。素人のお宅のように端から端まで見せるわけにはいかないのだろう。松本伊代の家にいたっては玄関とトイレのみ「公開」だった。その奥は旦那のヒロミの許可が下りなかったのかっ・・・玄関とトイレだけで見せて帰される「お宅訪問」ってアリかっまあ、そりゃあ外観や眺めから住所を割り出されたら大変で、そこが「有名人のお宅拝見」の難しいところ。だけれど、不動産物件の評価は家の内側だけでなく、環境・立地・建物の状態などを含めて総合的に下されるものだろう。これだけ重要な情報が隠されていたら、物件の本当の良し悪しなど分からんではないか。

住宅番組のいいとこ取りを狙ったのはいいが、プライバシーの切り売りができる程度の有名人しか登場しないこと、また「有名人」であるがゆえに十分に「お宅拝見」とはいかないという、制作者がジレンマを抱えてるのがミエミエで、『大改造!劇的ビフォーアフター』のようなスッキリ感がなくて、番組を見てる方は余計にイライラさせられる。それでもチラッとではあるけれど、ほ〜こんな部屋に住んでるのか〜っちゅう雰囲気は感じられる今田ハウジング(インテリアコーディネーター@情報館)「有名人のお宅拝見」は逆にどこの何を見せないのかを探る方が面白いかも。

以前から時々特番をやってたのが、この春からレギュラー化して3月7日から放送が始まったばかりなのに、もうネタ切れなのかいまお休み中。次回の放送は5月2日!?だそうな。
石原都知事の3選で安藤忠雄による東京オリンピックをはじめとする都市デザインがますます加速しそうな勢いです。さっそく「都市の景観と緑に関する懇談会」が都庁で開かれるらしく、建設業界や広告業界のお偉方が招集されるようです。別名「安藤詣で」とか言われてるけれど。

ぼくが初めて東京へ出たときは(最初に就職した大阪の百貨店をやめて上京して1年と7ヶ月中目黒に住んでいた)もう20年くらい前になるのかな・・・その当時の東京はまだまだ(ビルの高さ制限があったのか知らないが)全体的に平べったくて広々とした感じの都市だったように思う。都会に集う人間の喜怒哀楽と人々の想念が染み込んだジャズの匂いが似合うような薄暗くて怪しげな場所もいっぱいあった。

今の東京は素っ気ないこじゃれたガラスの塔のビルが目立って、人を見下ろし、圧し、吸引しながら喉の奥で拒むような心なさが感じられてならない。ハードとかソフトという言い方をすると、ソフトの方はやっと気がついたのか、昭和の中にあった手触りや空気感、人の顔がなぜ微笑んでいたのか、人を思いやる気持ちをどうして持ち得たのかなどを懸命に思い出し始めてる。

あまりに利便性のみで進みすぎた生活のシステムが、心をカサカサにしてしまったことに気がついたからだろう。人はいつの間にか、人とつながることを忘れてしまった。これではいけないとふり返る・・・でも、ハードの方はそんなことはお構いなし。あっちのビルよりは高く、こっちのビルよりは豪華に、てな感じでビルを造り続けてる。人間は哀れにも催眠術にかかったかのようにそんなビルに呑み込まれて吐き出されてゆく・・・東京の街中でジャズの匂いがするような場所がめっきり少なくなった。ハードもソフトも暖かみのある都市になるようデザインしてほしいもんだ。

けっきょく、黒川記章の都知事への出馬は安藤忠雄に仕事を取られた腹いせだったのか?それとも反石原票を割らせるための援護射撃だったのか・・・でもなぜか(ぼくだけかもしれないけど)黒川の好感度はアップしてるような空気を感じる。72歳にしてあのフサフサした黒髪にはまいった。
2007.04.13 ◆強敵
テレビ番組欄のチャックは毎朝欠かさないけれど、最近はテレビを点けて原稿やらを書くってことがなくなった代わりに(テレビ番組はHDDへぶっこんで後で見るってな感じです)ちょっと調べ物をするのにブラウザを立ち上げては、そこでついつい横道にそれて「ネットサーフィン」してしまう・・・
これは始末がわるい。
テレビは見ながらでも、気は多少散っても仕事の手はちゃんと動いていたけれど、
ネットはそうもいかない。そうなるともう横道どころじゃなくなってしまう。Σ( ̄□||||!!
テレビという敵が去ってネットという強敵が現れた・・・
ああ〜今日も夜更かし・・・
2007.04.12 ◆おしるこ
仕事現場の下見へ向かってる途中に、ふと寄った国道1号線のドライブインの食堂の横の自販機で見つけたキリンビバレッジの「おしるこ」です。

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粒餡の「おしるこ」はよく見かけるけれど、こしあんはちょっと珍しい。さらに驚いたのは、祝島の「よばれ」やなんかで飲んだ記憶のある、あのおしるこの味になんとなく似ていたことに感動。その「おしるこ」の味を覚えてる方は是非飲んでみてください。
今日のテレビ東京『いい旅・夢気分』はスペシャル版で「春の花めぐり」と題して、京都が取り上げられていいて、つい先日、行ったばかりだったので、感情移入しながら見た。

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やっぱり祇園白川の桜はテレビで見ても絵になるなあ・・・
ロケ日が3月31日だっていうから、その日、料亭で食事していた客の中にひろみちゃんがゆっくりとパンニングしていたテレビカメラにチラッと映っていたかもしれない・・・あとでスロー再生して確認してみよっと。。。
NHKの「プロジェクトX」の後に始まった番組で、『情熱大陸』と『トップランナー』を合わせたような今日の『プロフェッショナル』は建築家の隈研吾を取り上げていた。(竹のレストランを見てみたい。一歩間違えばバカ建築の仲間入りかも。そんな不安が交錯したかのような施主の顔の表示が面白かった)この手の番組で「建築家」と「写真家」と「小説家」編が何か好きだなあ・・・。ついつい録画予約してしまう。

建築家たちはいい名言をたくさん残しているので、その名言集を集めてみました。

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あなたが本当にそうだと信じることは、常に起こります。
そして、信念がそれを起こさせるのです。

医者は自分のミスを闇に葬ることができるが、建築家は依頼者に、
ツタ科の植物を植えるように勧めることしかできない。

敷地に特徴となる自然があるのであれば、
住宅が敷地から成長しているかのようにし、
環境と呼応するように形づくりなさい。
そのような自然がない場合は、
自然が機会を与えられた場合に
どうなるであろうかを想定して、
できるだけ静かに、本質的で、有機的にしなさい。

暖炉は家の心臓である。

テレビは目のチューインガムである。

フランク・ロイド・ライト(アメリカ)

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少なきことは、より豊か。

神は細部に宿る。

建築は空間に翻訳された時代の意志である。

ミース・ファン・デル・ローエ(ドイツ-アメリカ)

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住宅は住むための機械である。

ニューヨークの摩天楼は小さすぎる。

機能はデザインに一致する。

新しい精神がある。それは明晰な概念に導かれた建築と統合の精神である。

新しい精神が培われるのは実用性を追求する工業生産においてだ。

近代建築上における重要な課題は幾何学によって解決される。

経済性を理解し計算力を備えたエンジニアは私達の時代と世の中を調和に導いてくれる。

建築は光のもとで繰り広げられる巧みで正確で壮麗なヴォリュームの戯れである。

美しさは装飾ではなく自然の秩序にこそ宿る。

芸術は心を込めて美を追求することだが装飾は表面的な外観を手軽につくろうものだ。

人を思いやり喜びを与えるように考えて建物をつくるのが建築家の使命だ。

人が機械に操られることなく使いこなすには自然に還るべし。

住宅は生活の宝石箱。幸せをつくる機械だ。

ル・コルビュジエ(スイス-フランス)

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創造的でも脇道にそれてはならない。
通常なされていることを観察し、それをよりよくしようと努力すればそれでよい。

独創とは起源に戻ることである。

人間は決して自由な存在ではない。でも、人間の意欲の中には自由が存在する。

人の一生を天秤にかけてみれば、歓びよりも苦しみの方が多いことは明らかだ。

建築家は、生涯苦しい研究と忍耐を繰り返さなければならない。

人間が作り出すものは、すでに自然という偉大な書物に書かれている。

人間はこれを読む努力をしなければならない。

アントニオ・ガウディ(スペイン)

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都市とは、小さな子どもが歩いていくと、
将来一生をかけてやろうとするものを教えてくれる
何かに出会う、そんなところだ。

空間の造形とは、光の造形だ。

創造とは、逆境の中でこそ見出されるもの。

人は哲学書を読んで、哲学者になるのではない。
決してそうではない。人は生まれながらにして哲学者なのだと私は思う。

過去の建築家たちにより造られた建物に対して敬意を込めて述べる。
かつてあったものは常にあったものである。今あるものも、常にあったものであり、
いつかあるであろうものも、常にあったものである。
ビギニングスとはこの事だ。

自然でもつくれない物を、人間はつくることができるのだ。

ルイス・カーン(アメリカ)

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専門家とは、いつも同じ間違いを繰り返す人たちのことである。

人の心とは傘のようなものだ。開いたときにもっとも機能する。

あらゆる造形活動の最終目標は建築である。

ヴァルター・A・グロピウス(ドイツ)

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建築家は建物のみにかかわる思考を停止せねばならない。

建築、彫刻、絵画はひとつのものになる。空間の全体性は、ものによって支配させる。

建築は感じさせるものだ。・・・建物は完全に情報となる。

立方体や角錐や球を用いて建築をつくりだすのは、人間の偉大な決断力なのであり、
そこからうみだされた建築はプリミティブで、官能的で、獣的で、おそろしく、力強く支配的であり、
それはまた、もっとも微妙な感情の化身、もっとも複雑な動揺の感覚的デッサン、強権の実体化である。

ハンス・ホライン(オーストリア)

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直線は私たちの文明を没落へと導く。

フンデルトヴァッサー(オーストリア)

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建築とは空間的であると共に音楽的なものだ。
その音楽は水によって奏でられる。

静けさは人間の苦悩や恐れを癒してくれる真の薬である。
現代における建築家の使命は静けさにあふれた住まいをつくることなのだ。

ルイス・バラカン(メキシコ)

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建築はsimple、natural、economical、direct、そしてhonestでなければならない。

アントニン・レーモンド(オーストリア)

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日本文化を愛す。それは実に涙ぐましいまで美しい。

ブルーノ・タウト(ドイツ)

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建築は本質的にナンセンスで、独断的で、見せかけだけであり、それを誇るべきである。

仮に人間が宇宙に撒き散らした廃棄物をスペースジャンクとしたら、
ジャンクスペースとは人類がこの惑星にもたらした残留物である。

レム・コールハース(オランダ)

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自分の責任において、決定を下し、行動すること。

何かを創りたいと思っても、データと論理だけでは無理で、知恵が必要です。

自然に触れることによって『思い通りに扱えない』ことを学ぶ。

たとえ負けても、次があるならば、そこに可能性を求めたい。許される限り、前へ進んでいきたい。

極限状態での可能性の追求が、本当の意味での創造につながると私は考えています。

多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。

1960年代は日本にとっての青春だった。

仕事のストレスは、仕事で解消します。

事務所開設後、最初に手がけたのは、頼まれもせず、街の空き地に自分で勝手に考えたプロジェクトでしたね。

コンクリートが、単純に私の好みに一番合っているのと、現代建築を象徴する最も”ありふれた”材料だからです。

安藤忠雄

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美しい空間は、人々の夢のなかに、いつでも存在する。
建築家は、それを引き出し、具体的に展開し、その人たちに見せてあげればよいのだ。それは、彼等の内部から生まれたものだ。

結局は単純素朴で質がよく、飽きがこない最小限の設備や空間を整えること。その上で、その最小限を使いこなしての工夫の中に、楽しさやその家庭の個性が出てくるものと心得るべし、ということだろうか。

東孝光

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建築家としての仕事は「不可能の見極め」である。

僕は、ファンタジーやイリュージョンを建築に持ち込みたいと思っているので、スケール感をなくしたいのです。

青木淳

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建築は何のためにあるのかというと、それは簡単なことなんです。建築は人間のしあわせのためにある。たったそれだけです。

なんでもしなければいい建築家にはなれない。
かつて北大路魯山人が「料理もできる」人間であったように、建築家とは「建築もできる」人間でなければならないのです。

出江寛

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建物の中に入って感じて欲しいのです。

間は点と点の間、あるいは、物と物の間に存在します。からっぽの静寂の無です。見ることも、聞くこともできませんが、感じることはできるのです。だからこそ、空間を体験することの本質となるのです。

建築が過度に威圧的だったり美しすぎたりすると、くつろげません。かといって、東京のように知性のかけらもない建築が無節操に並んでいると、何も気にしなくなってしまいます。

磯崎新

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デザインは、一瞬にしてできあがるということを学んだ。

ヴァーチャルな身体、つまり電子による情報は、日々拡張し続けていますが、我々は、相も変わらず、プリティブな身体で生きているのです。たとえ、携帯電話やインターネットで世界24時間つながるようになっても、身体の限界はほぼ太古のままで、重力に逆らうこともできないし、睡眠なしでは生きてはいけません。そんな、二つの身体をつなぐ建築です。

ほとんど設計が終了しかかっていても、新しいアイデアのためには、設計を白紙に戻して、まったく新しく始めても良いということです。

伊東豊雄

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住宅の中で一番大切な場所はどこか、と聞かれれば、私は躊躇なく食事の場であるというだろう。なぜならば、食事こそは生きるという人間の本能を満たし、人間の喜びとか満足の原点だからである。

内井昭蔵

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日本の建築教育は非常にいいんです。
今まで遅れていると言われていたのですが、世界の中で最もユニークで、最も技術変革に適応することのできる人たちをどんどん育ててきたということになります。

菊竹清訓

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私にとっての理想の建築とは、建物に気を取られず、まるで自然の中にいるような感じになるものです。

安全性とは安心感だと思います。したがって、心の平穏を保つ自然な素材であり、特殊な技術や建物の強度とは別だと思うのです。

技術的なことはもちろん、設計した建築が持つ哲学が最終的に問われる世界。その建築にかける自分の思い、こだわり、その土地と自分の設計した建築の接点。それらは、数字でのみ語られるものではない。哲学のない建築は人の心を動かさない。

僕は図面を書くときは、手紙だと思って書けといってるんです。

隈研吾

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日本文化は完璧な共生文化なのです。50年後の未来社会で、この共生という文化の概念が世界の標準となっていても不思議はありません。

異文化に惹かれるのは世界共通のメンタリティだと思いますが、日本人がユニークなのは、憧れの外国文化を積極的に自分達の文化に取り入れてしまうところです。仮にアメリカの建築家が日本の現代建築に惹かれたとしても、日本文化をアメリカに取り入れようとはしないと思います。それに比べると、日本はどうでしょう。

黒川紀章

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便利だとか安いということがモダンリヴィングのターゲットになっているようにも思う。私はそれを聞くたび、「今日の便利は明日の不便」或いは「安かろう悪かろう」と自分に言いきかせることにしている。

家に孤独を求めるような人にはカプセルホテルが向いている。それでも満足できずに、さらに高いプライバシーが必要なら、ロック(施錠)も厳重な刑務所の独房が向いている。

何人家族には何坪の家が必要だという、考え方によってはひどく大雑把な住居の科学がある。その理論と具体的な計算方法も何通りかあって、
でてくる答えも何通りかある。私の好きな説は<年齢平方メートル説>。

漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。
すなわち「宅」と「家」である。
この場合、宅はハードウェアとしてのハウス、家はソフトウェアとしてのホームにあたる。ところで、東京などの地下道で最近よく見かける
路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろう。

住み続けるには修理修繕を繰り返さないと、家はすぐにただの粗大ゴミとなっていくしかない。メインテナンス、正しくはメインテインで意味は「手入れ」ということ。先日、法隆寺が1400年もったのは貧乏寺であったこと、修理修繕をこまめにしたからと管長にうかがった。

清家清

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美しきもののみ、機能的である。

ポストモダニズムに終わりは無い。

今のポストモダンは、全てが自我レベルまで分解された個人の反映にしかすぎないそういうものを何と呼ぼうと、あまり相手にする必要はないと思う。

これからの日本の建築家の生き方というものは、もっと世界を相手にしなければならない。

これまでの人生で、私はチームワークの大切さを説いてきました。
同僚たちと互いに支え合うことで、広く、緊密なチームワークを築いてきたのです。

若い建築家たちには、設計が始まったら、集中力を保ち絶え間なく考え続けるように強く言っています。製図板の前や仕事場にいる時だけでなく、目が覚めている時は四六時中考え続けることで、初めて回答が得られるのです。突然、ひらめいたように思うかもしれませんが、実際は、そうではなく、無意識のうちに働き続けていた感覚の信号が、正しい答えを察知して、偶然のようにインスピレーションとして提示されるのです。それを実践してきたのが、私の成功の秘訣かも知れません。

何もなかった日本が豊かな国に成長するという激しい時代に、よくめぐり合ったものだという気持はあります。かなり恵まれた道を歩いたと思いますが、やりがいのある仕事をやらせていただけて、ありがたく感謝の気持です。これからもやりたいことは多くあります。前にやったものとおなじものをつくろうとは思いませんから、一つひとつ前のものを踏み台にして上がっていくのが面白いんです。

丹下健三

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すべての建築は住宅の延長線上にあると同時に、住宅はすべての建築と社会の縮図でもあります。

建築は人や社会に行為を引き起こす仕掛けです。

手塚貴晴+手塚由比

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建築の創造は、社会への参加である。

建物の寿命を迎える時が、私の手を離れる時です。建物が、もともとの計画とは異なる使われ方をしたり、使う人にとって、より快適なように手を加えられても気になりませんが、それは建物への愛着がなくなった
という意味ではありません。建築家と建物の関係は、親子の関係に似ています。

私は、白黒になった写真が今まで表現してきたものを、もう一度、見直さなければいけない時期に来ているのではないかと思います。

建築家は、市民の利益を考えなければならない。それが、市民を味方につけ、役人の意識を変えていくことにつながる。

内藤廣

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悪条件にこそ突破口あり。

主人公は「家」。

プロフェッショナルというのは、ある特定の職業を選んだ人じゃなくて
ある特定の職業に選ばれた人の事を言うんだと思います。

結局こうして人様の居心地にまで口を差し挟んだり、手を貸したりする建築家というお節介な職業についてしまいました。

中村好文

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僕は建築をアートではなくデザインと考えている。アートはアーティスト個人の表現であり、デザインは社会の要求に応えてデザイナーが設計するものである。建築家にはクライアントがいて、その要求に対して建築家が設計するものだから当然デザインだと考えられる。

僕がめざしているのはそういう個別的な作品ではなく、世の中が求めている建築の原型、専門用語でいうとプロトタイプである。

難波和彦

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昔の人は恐らくつくる行為に対し、誠に謙虚な態度で臨んでいたのではないか。しかも物の本質や機構の隅々まで知り尽くしていたから、頭は柔らかく自由に事に当たって発想できたに違いない。しかもそれをあからさまに表現しようとはせず、もっぱら用に従って形をつくり出していったように見える。

建築家の場合ははっきりと形を出したいという意志が働いてプランを単純にする。素人は建築とは単純な形をしたものと思い込んで詰将棋をやる。

西澤文隆

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社会も伝統も自然も、あらゆるものを内に含んだ総合芸術にしたい。

建築とは常に未完である、というのが私の考え方です。大いに使いながら完成させ、時代に合わせて創り続けていくプロセスの中で、生かし続けたいです。

とにかく、光や風や自然がきちんと捉えられていて、内部は積極的ながらんどうでいいという小住宅でした。戦後の日本のライフスタイルが次々に変化していく様子を見てきて、その変化に対応できるものとしての小住宅づくりをしてきました。

長谷川逸子

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どんな大型建築も住宅から機能分化し、発達したものにすぎない。

林昌二

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戦前は、合わなくなったら、次にぱっと引っ越せた。これが本当だと思いますよ。しかし、本当は住宅を選ぶということは、自分の生き方を選ぶことですから。

林雅子

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素材が、建築の新たな可能性を開くでしょう。

建物のデザインや機能だけでなく、建設現場で働くたくさんの労働者への責任も感じています。

真夜中に、柔らかい、4Bの鉛筆で書くのが好きです。

長野県の田舎の山間で育ち、そのことは、自然環境への適応という意味で、自分の建築に強く影響しています。僕の理想は、山に囲まれて暮らすことですが、現代の都市において、それは難しいので、少なくとも自然を感じ、風に触れ、空を見て暮らしたいと思います。

原広司

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若手建築家が実績をつくるには、外国よりも東京。

日本では、有名な建築家に仕事を頼んだ場合、クライアントは設計に一切口出ししません。

坂茂

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懐かしいという心の動きは、喜怒哀楽の感情とはちがう不思議な感情で、人間にしかない。犬は古い犬小屋を振り返ってシミジミするようなことはしない。人間が、昔のものが変わらずにあるシーンに出会った時に、この感情が湧いてくる。

地上げ屋さんは古い建物は壊そうと思っている。
僕は残そうと思っているそこだけの違いですね。

建築の外観は精神に働き、内部は感情に働くのである。

私たち建築史家はひとつの作品に面したとき、ここが建築デザイナーと違うところなのだが、その作品だけを単独に眺めて善し悪しをいうことはしない。必ず流れの中で見る。歴史的にどういう位置にある建築家が
いつつくった作なのか。なぜなら、どんな傑作も突然生まれたりせず、
ひとつの流れの中でしか出現しないことを知っているから。
                 
藤森照信

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あらゆる種類の空間を創造するのが、仕事なのです。

私が興味を持っているのは、素材そのものではなく、素材が、建物を見る人に、どういうメッセージを伝えるかということなのです。個人的な好みの問題ではなく、もっと複雑な意味あいで素材を用いているのです。

建築のことは常に考えています。それも、ひとつだけではなくて、
いくつかを同時に進行させ、複数の建物の間を行き来しながら考えるのが私流です。

槇文彦

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ちゃんとしたインテリアデザインができるのは、本当は主婦であるべきです。家をちゃんと管理して、切り盛りできる人だったら、確実にインテリアデザインができる。

住宅が好きだ。建築の中で一番好きだ。
一回一回相手にする人間が違うのが良い。
あらゆる条件が皆違っていて丁度良い推理小説を息はずませながら、しかも丹念に読み解いて行くようなプロセスが良い。

ものすごく居心地のいい家だと思ったけれどもごく普通の家だったわねと、たずねた後で感じる家がたぶん最も良い家だろうと思われます。

雑誌に出てくるような綺麗で完璧な家をつくったら子供は子供室に、夫は書斎にそれぞれ引きこもってしまって、家族のふれあいや会話がなくなってしまったという実例がごまんとある。何のために家をつくるのかという基本的な思考が落ちていたからとしか言いようがない。

ヨーロッパの壁紙需要は、8割から9割は張り替え需要だそうだ。
日本は全部が新築需要。今年はこれだけの建物ができたというと、その壁面積しか売れないそうだ。絶対にいつまでも張りっぱなしの状態になっている。

70年安保が非常に象徴的だと思うのは、設計者は思想ではなく技術をPRするだけだったのと、設計者が前面に出てきて1つの社会運動をやった最後だったと。プロデューサー丹下健三というのはこれ以後消え、電通やゼネコンにとって代わるんです。設計者たちが理念というものをつなぎながら技術をと訴えたが、技術の時代になるとそれは設計者の手を越えた大きなモノになって離れてしまい、ゼネコン、広告代理店とかに移ってしまった。設計者が先頭に立ってリードしていく時代は終わってしまったというのが、70年代というのでなかったかと思います。

宮脇壇

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建物の表情は昼と夜とでまったく異なります。
たとえば夜、照明をつけますね。
その照明は内部を照らすだけでなく、
外の街に対して何らかの役割を果たす。
それはどういう役割なのか、どう見えるのか。
昼の顔だけでなく、建物がもつ夜の顔にも
意識をもたなければならないと思うんです。

ぼくのつくった家は、10年ぐらいたってから喜んでくれるのです。それはぼくが家を流動的にとらえているからじゃないかとおもうのです。

昔の下町では、隣の人がこうやったから、自分の家もこうやろうっていう気持ちがあったんだよ、そういうエチケットが。

建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。

葉祥栄

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建築家というのはモノが残る、つまり、仕事の成果が目に見えるので、建築家の言葉はとても発想が豊かで表現がリアルだと思う。プランニングやキャッチコピーを練る上でインスピレーションを頂いています。彼らの仕事は別ですけどね。言葉は立派でも中には自己満足なバカ建築もいっぱいあるし。
ああ〜やっぱ京都とは違う・・・
大阪はなにもかもがうるさい・・・

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平日の月曜日の午前中、こんなに人がいてもいいのでしょうか・・・

2007.04.08 ◆京都2
鴨川のイベント用のテントで1泊。
意外と熟睡できて頭スッキリ。体がちょっと重いけれど、
今日は昨日と打って変わって快晴の青空を見るとそんな疲れは吹き飛ぶから不思議だ。
青空をバックにした桜もいいもんです・・・

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木屋町通りの桜、鴨川沿いの桜も満開。

三条大橋のすぐ横のスタバで桜景色をぼーっと眺めながらコーヒーを飲みたかったけれど、満席で入れなかった。店内は鴨川に面した方が全面ガラス張りになっているので、明るそうで眺めもいいだろうなあ。手を伸ばせば川の水をつかめそうなので、夏はちょっとした納涼床なスタバだ。

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サウンドチェック中。
こんな桜の下のステージでライブするなんてさぞ気持ちがいいことでしょう。
そのリハが終わったら後は預けて大阪に帰るつもりだったのだけれど、天気がいいので、茶わん坂を登って清水寺まで歩いて行ってきたけど、すげ〜〜ッ人の波でしたよ〜その頭の上でサーフィンができそうなくらい。二年坂、三年坂の混雑を避けるために、清水へ上がってくこの通りは昔は穴場的な抜け道だったのに今じゃすっかりメインストリートになっててびっくり。

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この通りには舞妓体験(浴衣や着物の貸し出しとかもアリ)ができる店が何軒かあって、着物を着た女の人がけっこういた。そしてモテモテ。3メートル歩いては観光客に捕まってカメラ撮影に応じていた。彼女たちはスター気分でしょう。

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昼間の円山公園も人でいっぱい。
ここの花見客(とくに学生風なグループら)行儀が悪いぞ。

笑ったのは、舞妓さんの後姿を見つけた外人観光客のカメラマンが追っかけて彼女?たちの正面に回ったとき、外人特有の肩をすくめて、両手を救い上げるようなポーズで♪オーマイガァ〜と叫んだので振り返ってみると、舞妓の正体はおすぎとぴーこみたいなオカマパブにいるようなおっさんだった。それにしてもあんなに漫画のようにオーマイガァ〜と叫ぶ外人のリアクションを生で見たのは初めてだ。(≧∀≦)ノ)) ウキャッキャ(誰でも「舞妓」に変装すりゃいいってもんじゃないぞ)

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こちらの4人組も舞妓体験中の観光客。
まあまあきれいだったのでワタクシもどさくさにまぎれてシャッターを切りました。

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この2人は本物(たぶん)しなりと歩き方が違う。

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これは正真正銘の本物(だと思う)昨日の夜中に祇園の路地でばったり会って、後ろから失敬して振り向きざまに仕留めたのでちょっとピンボケ。でもそれがかえってリアルな感じが出てる、かな。

京都での仕事は駅ビルが多くてそこから出ることなくそのままJR京都ーJR天王寺間を特急「はるか」で往復するだけだったのだけれど、今回は鴨川で、しかも桜が満開な時期で、さらには広島に住んでいるいとこで、右下斜め45度の角度でみると伊東美咲に、雰囲気的には若いときの森高千里に似ている(あくまでもワタクシの個人的な主観でございます)「ひろみちゃん」ちゅうのがいて、彼女が大変な京都オタクなもんで、もうほとんど行き尽くしてるはずなのに先週もそして今週も広島から鈍行に乗って行き来したり、飽きもせず毎年毎年、何回か上京してる。(あっちに行ったりこっちに行ったりする「放浪癖」のあるDNAはぼくと共有してるみたいだ(。−∀−)ニヒッ♪

京都のどこの何がそんなにええの〜みたいな感じでやや冷ややかな目で眺めてたってこともあって、よし、それじゃあせっかくのグッドタイミングだし、それを確かめる意味合いもあってこの機会に、仕事場から徒歩圏内で行けそうな八坂神社、円山公園、地恩院、高台寺、清水寺までちょっと散策してみたってわけ。

京都には何度か行ったことはある。
あるけれど、何かゴミゴミしててどこへ行っても修学旅行生軍団がウジャウジャいて、うんざりして疲れるだけのイメージがあって、疎遠になっていた。でも、今回、驚いたのは京町家をうまく改装して招き入れてたりしてるとこもあったり、通りには普通の生活道路にまで灯路が点ってたり、店は夜遅くまで開いていたり、どちらかといえば「ヨソ者」に冷たい印象があったのに、ずいぶんと温かくなって開放的になってたことに戸惑った。時代は変わっていってるんだなあ、とつくづく思う。
2007.04.07 ◆京都
飛行機で東京へ。
打ち合わせなどいろいろ。
本日も日帰り。
っていうか本日は京都で「鴨川さくらまつり」があるので、ちょっとその現場に顔を出しておかなければならない。面倒くさいけど・・・。

東京へ行ったらさっそく開業したばかりの東京ミッドランドへ行ってきた。
美術館とか行きたかったけれど、時間がなかったので、ぶらっとビルの中をうろついただけ。
思ったより混んではなかったけれど、どの店も無駄に敷居が高いなあ・・・

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ロゴはこんなの↓HP
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見事に三井カラーですなあ。
東京ミッドランドとは東京の中心に残された、10ヘクタールもの土地をどう活かすか。“東京ミッドタウン”という都市を通して、地域に、日本に、そして世界に貢献したいという思いから、このプロジェクトは始まった。まだ誰も見たことのないビジョンを持つ人や、新しい価値を生みだす人が集うところ。世界中のあらゆる才能とセンス、そして文化が融合し、互いに刺激しあいながら、「新しい何か」をつくりだしていくところ。そんな「場」の力をもたらす、広大な緑の空間を創り上げました。共生し、共鳴し、共創する世紀に向けて。人々の成長を支え、ともに成長する街。さまざまなコラボレーションから新たな「躍動」が生み出される、“東京ミッドタウン”。21世紀の新しい都市の理想像を、この街から、世界へ発信します。だってさ。

「六本木ヒルズ」がもはや”田舎者”っていうか古臭い感じがするくらい時代の流れって早く感じる。
オープンした初日に1泊206万円のホテルにさっそく予約が入ったとか、聞いたこともないようなタレントが家賃156万円の住居に入ったちゅうニュースをやってたが、そのうちバチが当たるぞ〜
一応ここへ来たぞって証を残すかのように、ピカピカのトイレに行ってさっさっと新幹線に乗って京都へ。電車で四条川原町へ降りて、イベント会場のある鴨川よりもその足で先に新京極の「かねよ」へ直行で腹ごしらえ。

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うなぎの上に厚くてフワフワのたまごが乗っかってるのが特徴。

京都は雨が降っていた。
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天気予報では昼から晴れるって言ってたのに・・・はずれ〜
夕方は傘がいらない程度にはなったけど。

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雨に濡れたら濡れたで色気が出ていいもんです。

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ニセ舞妓さん。でもモテモテでした。
白川通りは着物を着た女性が歩いてるだけで絵になりますなあ。
雨が降ったおかげで鴨川でのジャズの立演が中止になったおかげで、ポッカリと時間が空いたので、そんなに遠くへは行けなかったけれど、せっかく桜が満開な京都へ来ているのだから、それでも、白川を通って八坂神社を抜けて円山公園を横切って清水寺へ上がることができた。ま、ワタクシにとっては恵みの雨ってとこでしょうかね(≧∀≦)ノ)) 

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円山公園はご覧のありさま。
以前はまだキープした場所に人がいたのに最近ではブルーシートに名前だけ貼ってそのまま帰ってく。公園の管理者も誰もいないとどうすることもできないらしい。さらには勝手に桜の木にロープを巻いたり、杭を地面に打ちつけたり・・・とにかく場所取りのマナーの悪さにはほとほと困り果てているんだとか。

宴会が始まったら始まったで、今度はわが者顔でドンちゃん騒ぎ。
七輪やカラオケを持ち込んだりと、周りの迷惑などまるで考えちゃいない。
桜の木の根元に穴を掘って、ブロックで囲って松明の炭をかっぱらってその上で肉を焼いてる、高圧放水ではじき飛ばしてやりたくなるようなバカなグループもいる。美しい桜の下では醜い人間の醜態が繰り広げられてる・・・。

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このグループは行儀がよかったですよ。

清水寺へ上がったら、夜間拝観のため大混雑。
(京都の街は車椅子などに乗ってる障害者にとっては難儀するでしょうねえ)

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三年坂の下の方まで行列。その列を見て清水の舞台へ行くのはあきらめて、
開放されてる京町家を巡りながら散策。(それでも十分堪能できる)

JR東海の『そうだ 京都 行こう』キャンペーンあたりから、京都が熱くなったように思う。
京都特集を組めば雑誌はよく売れるという。その流れを汲んでテレビでも京都モノは視聴率がいいらしい。観光客は年間5000万人に達する勢いだ。京都を訪れる観光客の特徴は、名所旧跡を見て回る従来型の点から点に移動する観光から、点と線のつながりで、買い物を楽しんだり、町家を改装したレストランを訪ね歩いたりする実感型の旅へと変化して、さらにいままで知らなかった京都の魅力を再発見しその奥の深さに魅了されて、いわゆるリピーターの滞在型が増えているそうな。

それには地元の人たちの景観を守ってきた努力と苦労も忘れてはいけないだろうと思う。でも、それでも、大阪や東京と同じように高層ビルやマンションが建つようになってしまってる。その経済効果は短期的には大きいかもしれないけれど、林立する高層ビルが、京都が本来もってるはずの、伝統ある町並みの個性を奪っていってるのが悲しい。四条河原町界隈などの街の中心だけを見れば京都も他の大都市との違いがない、無個性な景観になってる。

危機感を募らせた京都市は先日、不動産や広告関係業者らの猛反発があったけれど、建物の高さ制限や広告の規制などを盛り込んだ、わりと厳しい新しい景観条例を施行することが決まった。将来のことを考えれば個人的には拍手喝さいだ。日本中どこへ行っても同じようなファーストフード店にパチンコ店にコンビニに大型量販店にサラ金などの毒々しい看板がところをわきまえずに乱立していてうんざりさせられる。(京都高島屋の外壁にバカでかいソフトバンクの看板はなんじゃあれは)その土地その建物に合うような意匠や色彩の面でちょっとくらい頭を使って工夫すりゃあいいものを、利己主義丸出しだ。まちづくりは本来、そこを生活基盤とする人々の裁量にまかせるべきだと思う。

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とはいえ、警備員は拡声器でケンカを売ってるみたいにがなったり、必要以上にピーピーと脳を苛つかせるような笛を吹いたり、車は歩行者を威嚇するように徐行し、どけとばかりにクラクションを破裂させたり、商店では騒音としか思えないぐらいの大音量のBGMの垂れ流しに店員たちの無神経な呼び込み・・・・・に、ビルや看板にしても造り色彩に斉一性などみじんもない(あまりにもなさすぎて、逆にそれがある意味魅力にもなってる皮肉)大阪の日常的な風景と比べると、京都はそのすべてにおいて「やさしい」と思う。ぼくのようなそんな「大阪」に毒されてる人間から見れば京都の町並みは奇跡的ですらある。三条大橋から眺めた風景は空が広いこと広いこと。

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二年坂や三年坂の通りにもある、間口が狭く、奥行きの深い京町家は、通り庭の細長い土間に沿って、「店の間」「だいどこ」「奥の間」などの部屋が配置されて、さらにその奥には、ええ〜こんなところにこんなきれいで美しい裏庭が広がってることに驚く。以前は表を素通りするだけしか出来ず、その家の中はどうなってるのか気になっていたんだけれど、今は、その京町家は土産物屋やレストランに改装されてぶらっと裏庭だけでも見ることが出来るようになってる。薄暗い部屋を取り抜けて、光あふれる裏庭に達する町屋の意外性の魅了されてしまう。東京ミッドランドもそうだけれど、スーパーブランド店、高級ホテルから大衆居酒屋までもが最近のコンセプトが「和」なのは日本の風景が均質化した果てに、揺り戻しのように現れた「和」への回帰なのだろうか。思想や芸術ではなく、ましてや単に流行っているからでもなく、身近な生活文化にこれでもかと「和」を求めるのは、日本人のアイデンティティーがこれまでになく揺らいでる証かもしれない。

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以前は夕方になるとさっさと店を閉めて真っ暗だった路地に暖色系の灯路が灯っていたり、店から漏れる明かりもいい具合に点ってて別世界へ迷い込んだ気分になる。山本モナが不倫旅行で京都へ行ったのもよくわかった。そりゃこんな通りを好きな人と手をつないで歩きたくもなりますわな。(。−∀−)ニヒッ

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その優艶な姿には恐怖さえ覚える(byひろみちゃん)高台寺の枝垂桜。

今回、ぼくは東京のミッドタウンへ(いわば日本の一番の最先端な場所から京都へ降り立ったわけで)行って、そして、京都へ行って思ったことは四季を感じて暮らすことの幸せがどんなに心地よいものかがよくわかる。そして、ワタクシのいとこでもある広島のひろみちゃんの京都好きなわけもわかるような気がする。

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円山公園の桜。
この周りには無数の人間がケータイ片手に取り囲んでおりました。
ベタな構図だけれど、その悠然とした姿に下手な小細工をするのもバカらしくなるくらいです。
これは正面からパチっと撮るのが一番でしょう。

来た道を戻って夜の白川通りへ。

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ときおり雨がぱらついていたけれど、それがかえって路面を濡らしてライトの反射で石畳がキラキラしていました。おや?っと思ったのは以前来たときはたしかこんな↓蛍光灯の街灯が並んでいたのに、今は灯路だけになってる。軒下には赤いちょうちんが掲げてある。

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蛍光灯の青白い光は不気味で、寒々しい感じがする。
昼間見れば鉄骨がむき出しで浮いてるし、やっぱりこのような通りには暖色系の灯りが似合うでしょう。

ライトアップされた桜は、まあ、お見事の一言。
川が流れて料亭があって、抜群のシチュエーション。
映画のセットでもこうはいかないでしょう。こんなのが普通の生活道路ってとこがさすが京都ですなぁ〜山本モナが・・・ってそれはもうええか^^道の長さもちょうどいい。ここの道がもっと長かったら大阪の造幣局みたいになって混雑して通り抜けるだけになってしまうとこだ。

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通り向かいの料亭で食事してる人はじろじろ見られて写真撮られて落ち着かないのではなかろうか・・・。外人さんの観光客たちは桜よりも料亭の客に興味深深でしたよ。^^

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祇園白川の桜は上からもライトが当たってるから、立体的なんでしょうね。

木屋町通りも桜のトンネル状態になってました。

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そして思わず入りたくなってしまいそうなお店。
2007.04.06 ◆桜2
天気は明日から下り坂・・・
なでに、まんまるい月と桜は当分見納めかも。

tukisakura